心身三要素とメタボディの関係性

心身三要素、すなわち「意識」「イメージ」「感覚」は、私たちの存在と行動の基盤を形成する核心的な要素です。これらの要素は互いに連携し、我々の心身の均衡と動きを保ちます。一方、メタボディはこれらの三要素を超越した共感覚的なボディイメージを指し、心身を一つの統合されたものとして認識する新しいアプローチを示唆します。メタボディの概念を通じて、心身の三要素は新しい次元での認識と表現を得ることができ、それは「身体を超えた身体」、すなわち「超身体」への道標となります。


心身三要素と潜在領域

心身統合法(潜在運動系のトレーニング)は、「意識・イメージ・感覚」の三つの心的要素を用いて、身体の難易度の高い潜在領域を訓練します。この過程は次のように進めます。

 

初めに、人間の身体において、動きづらい部分を「潜在領域」、動きやすい部分を「顕在領域」と定義します。訓練は潜在領域への意識から始めます。特定の部位に意識を集中させることで、その領域をより動かしやすくします。

 

次に、意識を向けた部位に対する具体的なイメージを描きます。なぜなら、動かしにくい部分は、大抵の場合、感覚が乏しいためです。ここでイメージを作ることで、感覚が高まりやすくなります。

 

例として考えてみましょう。腕は意識しやすい一方で、肩甲骨は意識するのが難しいとします。更に、肩甲骨の奥にあるインナーマッスルはより難易度が高くなります。そこで、肩甲骨に意識を向け、その形をイメージします。そして、「肩甲骨から腕が生えている」という具体的なイメージを持ちながら腕を動かします。すると、肩甲骨が動かしやすくなり、肩甲骨から上腕骨に付着するインナーマッスルも動き始めます。これにより、普段とは異なる新たな感覚を体験することができます。最終的に、この新たな感覚を学習することが心身統合法の目標となります。


メタボディと心身三要素

意識、イメージ、感覚の創出は、私たちの物理的な身体を超越した存在、メタボディ(超身体)の形成を促進します。この概念は、道教の「丹田」やヨーガの「チャクラ」など、人間の微細なエネルギーボディを表す概念に一部類似しています。

 

解説:

ここで言及されている「意識、イメージ、感覚」は心身を活性化し、人間の潜在的能力を開花させるための重要な要素です。これらは物理的な身体だけでなく、心理的、精神的側面にも影響を及ぼし、人間の「超身体」であるメタボディの形成に寄与します。

 

「道教の丹田」や「ヨーガのチャクラ」は、それぞれ東洋の伝統的な教えであり、これらは人間のエネルギーの流れやバランスに重点を置いています。これらの教えは、物理的な身体だけでなく、エネルギーボディや精神的な次元を含む人間の存在全体を考慮に入れています。この観点は、新たな理論の「メタボディ」の概念と部分的に一致します。

 


本文:

「丹田」や「チャクラ」のような概念は、古代から図表に描かれており、これはその視覚的な表現として理解できます。特に、丹田は人体の下腹部に位置し、特定の位置に認識(意識)を持つことから始まります。この部分は感覚が鈍く、そのためにイメージ化するためにはまず意識が必要になります。ここでいう意識とは、特定の身体部位に焦点を当てる行為です。これは現代のトレーニングでも、「この筋肉に意識を向けて」と指示されるのと同じです。

 

丹田は生命エネルギー「気」の貯蔵庫として説明され、この「気」は身体全体の経絡に流れるとされます。このエネルギーは感覚とともに存在します。これらの情報から、意識、イメージ、感覚がメタボディ(丹田やチャクラ等の超身体)の形成に深く関与していると考えられます。

 

こうした気の身体とはサトルボディ(微細身)と言われ、これを本論ではメタボディと表現します。

このサトルボディ (メタボディ)は「気」や「プラーナ」等の生命情報エネルギーと関連しているとされます。本研究では、この生命情報エネルギーをまだ科学的に解明されていない何らかのエネルギー、「Xエネルギー」と考えます。このエネルギーは、意識、イメージ、感覚を通じて制御可能だと考えられますが、一般的な理解としてはこのXエネルギーが理解し難いため、主に心身三要素(意識、イメージ、感覚)に焦点を当てます。

 

解説:

上記の文章は、古代の哲学と現代の心身の訓練方法とをつなげる試みといえます。丹田やチャクラは身体の特定の部位にエネルギーが集まるという古代の概念で、それが視覚的な表現として図表に描かれることで、それを意識し、イメージし、感じることが可能になります。これらの要素は、超身体であるメタボディの形成に寄与します。

 

さらに、この文章は、古代の概念と現代の科学的理解との間のギャップを埋める試みでもあります。未知の「Xエネルギー」の存在を提案し、そのエネルギーが心身三要素(意識、イメージ、感覚)によって制御可能であると述べています。これは、一般的な人々が理解しやすい形で、この新たな理論を提示するための一部と言えるでしょう。

 

本文:

生命情報エネルギー、または「Xエネルギー」と称される「気」は、特定の点に意識を集中させることで制御可能です。これを「意守」と呼びます。つまり、意識はXエネルギーを導く力を持つとされています。

 

気功では、イメージは「意念」として表現され、この意念が気、つまりXエネルギーを導く役割を果たすと説明されます。これは、イメージがXエネルギーと深く関わっていることを示しています。

さらに、「気」を放出するときには、気感、つまり感覚をコントロールします。これもまた、感覚がXエネルギーと直接関連していることを示しています。

したがって、心身三要素(意識、イメージ、感覚)は、Xエネルギーと深く結びついていると結論づけることができます。

 

解説:

ここで述べられているのは、古代の気功の理論と現代の心身の理解とを結びつける試みです。心身三要素(意識、イメージ、感覚)は、気(Xエネルギー)の制御に不可欠であり、これらの要素は相互に関連しています。また、この理論は、古代の概念(気功の「気」や「意守」「意念」)が現代の心身の訓練や理解とどのように結びついているかを示しています。

 

本文:

「Xエネルギー」は深層的な概念であり、一般的には理解しづらいかもしれません。それ故、この理論では、より直感的で感覚的な表現として「メタボディ」を導入します。これは、丹田のような身体を超越した存在、あるいは何らかの「存在感」を示すものと考えています。

 

「Xエネルギー」がこの理論の本体と考えるなら、メタボディはそれを人々が具体的に感じる、あるいは理解するための「現象」をフォーカスした概念です。

 

解説:

ここで述べられている「メタボディ」は、身体を超えた何か、人々が感覚的に感じる存在感を表現するための概念です。その背後にある深層的な力、すなわち「Xエネルギー」は抽象的で理解しづらいため、直感的で具体的な表現としてメタボディを用います。メタボディは、Xエネルギーが引き起こすと考えられる感覚的な現象に焦点を当てています。


共感覚的ボディイメージとメタボディ

【定義】

共感覚ボディイメージとメタボディについての定義は以下の通りです:

  1. 共感覚ボディイメージ: 共感覚ボディイメージとは、身体感覚(触覚、筋感覚など)が視覚、聴覚、味覚などの他の感覚に変換される現象(共感覚)を経験し、その結果として形成される身体の自己イメージを指します。この共感覚的な体験は、身体の内部からの感覚(インターオセプション)や深部ボディイメージの認識を強化し、感覚の交差や統合を通じてより豊かな身体感覚と認識を可能にします。

  2. メタボディ: メタボディとは、共感覚ボディイメージの概念をさらに発展させたもので、身体の物理的な存在を超えた概念的な身体を指します。これは自己の身体を認識するための内的なマップであり、身体感覚、感情、意識状態、思考、記憶など、多様な感覚的、認知的、情動的な要素が統合されています。メタボディは、東洋医学におけるチャクラや経絡のようなエネルギーセンターやエネルギーパスウェイを含む可能性があり、身体の内部と外部の両方、物質的で非物質的な経験を包括する可能性があります。これにより、メタボディは自己の身体と世界との関係性を理解するための豊かなフレームワークを提供します。

 

本文:
共感覚は五感が連携する概念であり、体性感覚野と視覚野の連携によって生じる現象とも考えられます。例えば、チャクラが身体に色を与えるという観念は、これらの領域が連携した結果、生じる「身体性共感覚」と理解することができます。この体性感覚野は「ボディイメージ」、つまり「脳の中の身体」と密接に関連しています。ボディイメージが色を帯びたもの、それが我々が認識する「チャクラ」となるのです。

身体性共感覚においては、上部は寒色、下部は暖色と感じることが多いです。これは身体が自律神経のバランスを保つための無意識の反応で、特に「頭寒足熱」という状態を維持しようとする反射であると考えられます。例えば、江戸時代の日本では、病気の際に紫色の鉢巻を頭に巻き、赤色のフンドシを身につける習慣がありました。これが逆だと、自律神経のバランスが崩れる可能性があるのです。

そして、意識の役割は、このメタボディを正確な位置に配置することです。この配置により、身体とメタボディの統合を達成し、自律神経を安定させることが可能となります。

 

解説:

本文は、チャクラや身体性共感覚といった概念を科学的な視点から解説しています。これらの概念は古代の宗教や哲学から引き出されたものですが、現代の認知科学や神経科学の理論と結びつけることで、新たな理解が深まります。また、意識の役割という視点からメタボディの配置の重要性を説明しており、心と体の統合という観点からの新たな視野を開いています。

 

本文:
メタボディは共感覚的ボディイメージと解釈できます。シトーウィックの実験では、共感覚発現時に大脳新皮質の血流が低下するため、共感覚処理は大脳辺縁系を通じて行われると推測されています。これは、共感覚が潜在運動系と密接に関わっていることを示唆しています。

また、丹田、チャクラ、そして中脈やスシュムナーなどのエネルギーセンターは身体の内部に位置するため、通常の表層的なボディイメージよりも深部のボディイメージに対応すると考えられます。これらは共感覚と深部ボディイメージが融合したものと捉えられます。

経絡は身体表面を走行しますが、肘や膝を起点にして内臓に向かって分岐します。この経絡の分岐部を「経別」と呼びます。古典的な医学書「黄帝内経」にも経別の記述がありますが、詳細は不明とされています。

経絡は筋肉と関連があり、「経筋」とも言います。一方、経絡は主にアウターマッスルを走行し、経別はインナーマッスルを走行すると考えられます。経別の詳細な伝承が存在しないのは、インナーマッスルやその他の内部構造を走行するため、伝承することが困難だったと考えられます。

さらに、東洋医学では、臓腑は五行と関連付けられ、色も決まっていますが、これは実際の臓腑の色とは異なるため、共感覚と解釈できます。また、描かれている臓腑の形状が現実とは異なる場合もあります(例えば肺が葉っぱの形に描かれていること)、これはボディイメージと解釈できます。このようなボディイメージと共感覚の融合が共感覚的ボディイメージであり、言葉としては表現が難しいため、この概念を「メタボディ」と呼びます。

本文:

共感覚的ボディイメージやメタボディは潜在運動系の重要な部分を形成しています。この潜在運動系は、丹田やチャクラを意識する、イメージする、あるいは感じることで活性化することが可能で、結果として認知機能や運動のパフォーマンスが向上します。この理論を元に、丹田はもともと道教の概念として存在していましたが、禅や武道などの実践にも採用されてきたことが理解できます。

 

解説: この文章は、共感覚的ボディイメージとメタボディが、いわゆる「潜在運動系」という身体の深部に存在する運動や認知のシステムの一部を形成しているという考えを述べています。潜在運動系は、特定の意識やイメージを持つことで活性化されるとされており、その結果として認知や運動のパフォーマンスが向上するとされています。この考え方に基づくと、丹田(体の中心部、特に下腹部のエネルギーセンターとされる場所)やチャクラ(ヒンドゥー教やヨガの伝統に基づく体のエネルギーセンター)などの古代の概念や実践も、この潜在運動系を活性化する方法として、またはその一部として理解することができます。文章の最後の部分では、丹田という概念が、もともとは道教に由来するものであるにも関わらず、禅や武道など他の実践や伝統にも取り入れられてきたことを指摘しています。これは、様々な文化や実践が、身体や心の内部のエネルギーシステムや認知システムを理解し、それを活用する共通の方法や概念を持っていることを示唆しています。

本文:

ここで言及している「感覚」とは、インナーマッスルのような深部感覚や、共感覚のような複数の感覚の連合を指します。野球のピッチングにおいて、プロ選手とアマチュア選手を比較すると、プロ選手の場合、アウターマッスルは比較的に弛緩している一方で、インナーマッスルが活動していることが確認されます。対照的に、アマチュア選手では、アウターマッスルの活動が顕著です。

サッカーにおいても、技術的に優れた選手は、パスを出す際に大脳基底核を活用していることが確認されており、これはプロの棋士が脳を使用する方法と類似しています。一方で、平均的なレベルの選手は大脳新皮質を主に使用しています。これから解釈すると、技術的に優れた選手は直感的にパスを出しており、平均的な選手はより意識的にどこにパスを出すかを考えている、と言えます。

芸術家の中にも、共感覚を持つ者が比較的多いと言われています。これらの観察を基に、優れた選手や芸術家は意識やイメージよりも感覚を主に利用しているのではないかと推測されます。

この論考の中での立場としては、意識やイメージは主に学習の過程で利用されるものと捉えられています。意識は集中力を高める役割を、イメージは新しい感覚を引き起こす役割を果たすと考えられます。このため、たとえ優れた選手であっても、自分の通常のレベルを超える動作や判断を求められる場合、意識やイメージの利用が必要となることも考えられます。

 

解説: この文章は、運動や芸術の分野での高度なパフォーマンスにおける感覚、意識、イメージの役割についての考察を行っています。プロのスポーツ選手や芸術家が感覚を優先して活動している可能性が示唆されている一方で、新しいスキルや技術の獲得には意識やイメージが不可欠であるという立場が示されています。これは、習熟度や経験の差によって、感覚や意識の利用の仕方が異なることを示しています。

 

本文:

丹田やチャクラのような概念は、物理的な形としては存在しない。例えば、スヴァディシュターナの中に描かれているガンビーラという神の存在は、物理的な空間には見当たらない。しかしながら、これらをイメージ、あるいは心の中の概念として捉えれば、どのようなものであっても無限に思い描くことが可能です。

 

「チャクラ」という概念は、もともと7つとは限らず、またそれが七色であるということもない。また、花の形として表現されることもあれば、その語源である「輪」、すなわち車輪の形で示されることもある。時代や文化によって、チャクラがどのように描かれるかは変わってきました。これは、チャクラが客観的な存在ではないことを示しています。このような観点から、丹田も心の中のイメージとして理解されるべきです。

 

それにも関わらず、丹田とチャクラ、中脈とスシュムナー、経絡とナディ、経穴とマルマなど、各文化や伝統の中での表現や位置づけに違いはあれど、これらの概念には確かな共通性が見られます。一つの可能性として、これは異なる文化が接触することで共通の理念や概念が生まれるという文化の伝播の結果であるとも考えられます。しかし、もう一つの可能性として、人間には普遍的な身体イメージ、すなわち「ユニバーサルボディイメージ」が存在し、これが私たちの物理的な身体を補完し、さらに支えているのではないかという考え方もある。このエネルギーは、仮に「エネルギーX」と呼ばれるものであるとするならば、本論の中では、この後者の解釈、すなわち普遍的な身体イメージが存在するという立場を取るものとなります。

 

解説: この文章は、丹田やチャクラなどの伝統的な身体と心のエネルギーセンターに関する概念を、物理的存在としてではなく、心の中のイメージや感覚として捉える視点を提示しています。その上で、これらの概念が異なる文化や伝統の中でどのように表現され、解釈されてきたかについて考察しています。そして、それらが示唆する普遍的な身体イメージについての理論を提案しています。

 

本文:

人は様々なイメージを持っており、その中で主なものとしては点、線、円、平面体、多面体、螺旋などが挙げられる。これらの形や図形を身体の内部にイメージすることで、身体の潜在的な領域を活性化することができると考えられています。

 

身体を活性化するためのイメージング技法として、例として五輪観やヤントラ瞑想などが存在します。これらの技法は、メタボディの概念に基づき、身体の中に特定の図形や形状をイメージすることでエネルギーの流れを整えたり、特定の部位を活性化させる効果が期待されています。

 

具体的な例として、肩のインナーマッスルを活性化する場面を考えてみましょう。この場合、伝統的な経絡の知識を活用することができます。特に、小腸経のルートのイメージングが効果的です。この経絡は、小指から始まり尺骨側を進むことで、肩甲骨を通過し、最終的には小腸へと続いています。さらに、このルートは丹田とも深く関連しており、『難経』によれば、丹田は十二経絡の根本とされています。

 

解説: この文章は、イメージングの技法と身体の潜在領域の活性化の関係について述べています。特に、身体内にあるさまざまな図形や形状をイメージすることで、身体の特定の部位や機能を活性化させることができるという視点を提供しています。この中で、「五輪観」や「ヤントラ瞑想」といった技法や、「経絡」という伝統的な知識が活用されることが示されています。

 


エネルギーXについての考察

エネルギーXは、我々の認識や現代科学の枠組みを超えた、未知の力や存在を指す用語です。このエネルギーは、物質世界の動きや生命の活動、さらには心の深層に関わるものとして捉えられることがある。具体的な性質や起源は明確ではありませんが、その影響や存在は多方面で示唆されています。ペンフィールドは以下のように言っています。

「脳の神経作用によって心を説明するのは、絶対に不可能だと私には思える。また、私たちの心は、一生を通じて連続した一つの要素であるかのように発達し、成熟する。さらに、コンピュータ(脳もその一種である)というものは、独自の理解力を有する外部の何者かによってプログラミングを与えられ、操作されなければならない。以上の理由から、私は、人間は二つの基本要素から成るという説を選択せざるをえないのである。これが、多くの確固とした科学者の求めている、 最終的な解明 へ到る見込みの最も大きい道だと私は考える。 」『脳と心の正体』ワイルダー・ペンフィールド著、山河宏・塚田裕三共訳 文化 放送p137)

「心は、その活動を最高位の脳機構に依存してはいるが、独自 のエネルギーを有する。それは神経繊維を伝わる電気的なエネ ルギーとは異なった形のエネルギーである」 (『脳と心の正体』ワイルダー・ペンフィールド著、山河宏・塚田裕三共訳 文化 放送p95)

最後に、ペンフィールドが述べているように、脳の神経作用だけで心を説明するのは困難であるという点は、科学の未知の領域に関連しています。彼は、心は最高位の脳機構に依存しているものの、それ独自のエネルギーを持っていると指摘しています。この「独自のエネルギー」とは、神経繊維を伝わる電気的なエネルギーとは異なるものであり、この未知のエネルギーは、我々がまだ完全には把握していない宇宙のダークマターやダークエネルギーのようなものと関連しているかもしれません。

 

科学でわかっていることはほんのわずかです。宇宙は、光と相互作用しないダークマターやダークエネルギーのような未知の物質やエネルギーで満ち溢れています。そうしたわからないものをエネルギーXと本論では呼んでいます。このエネルギーXが、ペンフィールドが言及する「独自のエネルギー」としての「心」や伝統的な「気」や「プラーナ」である可能性も考えられます。もちろん、それが確実であるとは言えませんが、これらの関連性を深く探ることで、人間の心や宇宙の真実に迫る手がかりとなるかもしれません。詳しくは、また別項で述べたいと思います。